銅鐸(県指定文化財)

外縁付菱環紐袈裟襷文鐸 静岡天満宮所蔵
外縁付菱環紐袈裟襷文鐸 静岡天満宮所蔵 現在 静岡市駿河区登呂博物館 保管展示

 「銅鐸」は弥生時代にあらわれた祭りの「カネ」であった。にぶく光り、高く鳴り響くその音色は、祭りをいっそう壮厳なものとしたのである。弥生人たちは祭りをして、豊かな実りと繁栄と成功を祈願し、さらに神に感謝を捧げたのである。銅鐸を通して弥生人の素朴で正直な生活を垣間見ることができる。

 弥生時代中期の古段階鐸に分類されるこの銅鐸は、銅鐸祭祀が変化していく過渡期に製作された、楽器として使われた最後の段階の銅鐸である。銅鐸は吊り下げて振り鳴らして音を発する稲作祭祀の道具であったが、後に何らかの象徴として安置する役割に変わってしまった。この変化は、弥生時代の稲作文化が推移していくうち、稲作社会が大きな変化を受けていたことを物語っている。
 さらに、島根県加茂岩倉遺跡で出土した銅鐸のひとつが、この銅鐸と同じ鋳型で鋳造された兄弟鐸であることが知られた。奈良県北葛城郡上牧町で江戸時代後期に出土したこの銅鐸は、出雲勢力と畿内勢力を直接に結ぶ証拠のひとつとして重要視されるものである。
 弥生社会の市域共同体が、戦いや連合を繰り返しながら広域の連合国家に成長し、やがて統一政権誕生へと進展し大和朝廷が成立したのである。
 この銅鐸は、わが国の古代国家が形成されていく過程の中で、大きな社会的飛躍の初期段階の変動の時期に製作され使われたものである。日本の歴史からみても、この銅鐸は貴重な歴史証人であり語部であるということができる。(解説:静岡市立登呂博物館 元副主幹 中野 宥 氏)

 

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