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1.川中天神伝説碑

 古代の人々は、山や海、森や川などには神様が宿っていなさると考え、このような所には常に畏敬の念を持って接していた。 安倍川が自由奔放に流れていたころの古代人は、川の中の大きな岩に神様が降りてこられ、川を治め、民衆に水を提供し、農耕の恵みを与えてくださっていると考えていた。そして、その川の中の大きな岩を神様の宿る場としてお祀りしていた。

 この神様は「天神(あまつかみ)」という自然神であり、こうした信仰が「川中天神」として長く続いていたので、現在静岡天満宮の中に「川中天神伝説碑」が祀られている。

2.道祖神

 道祖神は、日本書紀に現れる岐神(ふなどのかみ)の原形の来名戸(くなど)の祖神(さえのかみ)と、中国渡来の行路の神である道祖が重なった神と考えられる。

 道祖の神の特徴である双体像は、天孫降臨説話の猿田彦命と、後に彼と結ばれる天鈿女命の両神の姿を映したものだが、像容は男女の理想像へと変遷した。

 静岡天満宮に祀られている手を結び寄り添う像は、宝永から宝暦(1704~1764)の頃に多く見られる。

 良縁を願う男女の気持ちは、記紀神話の時代も今日も変りないようだ。

3.景行社(摂社)

 道真公が無実の罪で九州大宰府に流された昌泰4年=延喜元年(901)1月25日の翌々日27日、道真公の子供達は位を下げられ、それぞれ別の地に流された。

 長男の高視公は土佐の国(高知県)へ、三男兼茂公は飛騨の国(岐阜県)へ、四男の淳茂公は播磨の国(兵庫県)へ、そして次男の景行公は駿河権介に格下げされて、駿河の国に流された。身体の弱い景行公は、やっとの思いで駿河に着いたときには、もう生きる気力もないほどだった。そしてその後、景行公は勅許を得て常陸介として赴任された。

 景行公の霊を慰めようと、平成元年、篤志家によって景行公の神祠が寄進され、景行公の霊を祀ったのが「景行社」である。父君道真公も安堵されたことと思う。景行社祭(例祭)  3月17日

4.静岡天満宮の臥牛

 歴史上まれにみる偉大な学者であった菅原道真公が藤原氏の陰謀により九州大宰府に流されて亡くなった頃、京都の御所に大きな落雷があり、多くの貴公子も被害を蒙った。都の人々は道真公が雷となって「怒り」を示したものと考えた。

 一方、雷は雨の前触れとして農耕に欠かせないものであり、牛は農耕にはなくてはならないものであった。こうしたことで、道真公と牛とのつながりが始まったと言われ、多くの天満宮には牛が祀られている。

 牛はその歩みが着実で、前に進むが決して後には退かない。それ故「前進」「隆盛」「幸福」の象徴とされている。

 この臥牛は、「天神様のお使いの牛」「撫でると夢をかなえてくれる」とも言われている。

 殆どの天満宮には臥牛の像がある。御祭神天神様の「つかわしめ」である。

 牛と天神様とのつながりには諸説があるが、天神様(道真公)が干支(えと)の丑(うし)年生まれであること、九州大宰府に流された道真公が、強い望郷の念があるにも拘らず、死後あえて京都に帰らずに配所に祀られる折、牛に遺体を運ばせたが、途中でその牛が伏せて動かなくなった。そこでその地(安楽寺)に道真公を祀ることになった。その後これが現在の太宰府天満宮になったのである。

5.筆塚

   御祭神菅原道真公は学問に優れた人であったばかりでなく、稀に見る 能書家であったので、後に「書道の神様」と崇められ、習字の塾などでは 道真公の掛軸をかけて祀っている。そのため長い間手習いをしていて、筆の穂先がちびてしまったり、書けなくなった筆や鉛筆などを静岡天満宮に納める人々がいる。その筆などを納めるのが筆塚である。現在はその筆などをお祓いした後、焼いて灰にしてこの筆塚に埋めている。

   静岡天満宮の筆塚は昭和42(1967)年に建立された。この筆塚に彫られた「筆塚」の文字は沖六鵬(おきろくほう)氏の書である。そして建立に際し、同氏により献詠・献書されたのが「筆塚祭口占」の漢詩(七言絶句)である。

この「筆塚祭口占」の書は静岡天満宮の拝殿内に展示してある。

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6.稲荷社(静銀稲荷社:末社)

 静岡天満宮に稲荷社があるのは不思議だという人があるが、これは次のような経緯によるものである。

 第二次世界大戦が終った年の昭和20年の秋に、連合軍が日本を占領し、静岡にも米軍将兵が進駐してきた。そしてこの進駐軍は、日本のこれまでの行き方をつぎつぎと改革するため、全国各地におけるのと同様に、静岡においても各企業に立入り調査を行い、昭和20年冬には静岡銀行にも調査が入った。そのとき、静岡銀行には商売の神様である稲荷社を祀ってあったのだが、進駐軍は「直ちに取り壊せ」と厳命した。しかし「稲荷社を壊すわけにはいかない」と静岡銀行の関係者が苦慮した結果、隣接していた静岡天満宮に「ご神体だけでも静岡天満宮で祀って欲しい」と申し出た。これを快く引き受けた静岡天満宮では、このご神体を静岡天満宮の本殿に合祀し、これがその後長い間続いていた。その後、たまたま静岡天満宮の三代前の本殿が静岡市宮本町で発見され、これを静岡天満宮が貰い受けたので、ここにご神体をお遷しして「静銀稲荷社」としてお祀りし、現在に至っている。

 今日でも、お稲荷さんの例祭である「初午祭」には、静岡銀行本店の主だった方々が来て、この「静銀稲荷社」での祭典を続けている。

7.火伏観音堂

 静岡天満宮に「火伏観音堂」が祀られているのは、江戸時代に、新通4丁目に多宝院水晶寺という寺があり、そこに火伏の神を祀る秋葉神社の御分霊が祀られていて、ある時期そこの修験者が静岡天満宮の管理を手伝っていたため、観音様を静岡天満宮にも祀った。現在、火伏の観音様として静岡天満宮の境内にあるのがそれである。江戸時代の神仏習合思想によるものである。

 この火伏の観音様のお陰で、昭和15年の大火、昭和20年の空襲にも、静岡天満宮のご神体は無事であった。

8.御神札等授与所

御神札・御守・御朱印等を授与します。

9.手水舎

参拝の前に水で手を清めましょう。

10.おみくじ授与箱

「英文みくじ」

 参拝者の大半は学校をはじめ各種の試験の受験者であるので、受験者の勉強を兼ねて「英文」のおみくじにしてあります。「英文みくじ」は全国でも稀なもので、裏には日本語で訳文がついています。

11.絵馬奉納所

 毎年、学校受験シーズンになると、「希望の学校に合格しますように」と 祈りをこめて書かれ奉納された絵馬で、絵馬掛けがたいへんに賑います。

 最近では、就職試験合格の祈願、資格試験合格の祈願なども多くなっています。

12.祭殿から見た御本殿

神社の参拝は、願いごとを籠めて

二拝(二礼)・二拍手・一拝(一礼)


してお参りします。

(注)祭典中は垂帳を閉めております。