須恵器「平瓶」

       須恵器「平瓶」
       須恵器「平瓶」

 日常的に使用されている瀬戸物と呼ばれる陶器は、その始まりを尋ねると中国殷代に作られた灰陶(かいとう)に辿り着く。わが国へは古墳時代の中期(5世紀頃)にもたらされたものと考えられ、日本書紀の「雄略紀」七年の条に、百済から新漢陶部(いまきのあやのすえつくりべ)高貴という人物が伝えたとある。この新来の焼き物は、それまでの縄文土器や弥生土器と違い耐久性に優れており、生活史上、文化史上ひとつの節目を成す程のものであった。現在はこの焼き物を“須恵器”と呼び、後代の陶器とは区別されている。
 須恵器は、当時の一般的厨房具としての土師器(はじき)と異なり、ろくろを用いて形成し、のぼり窯の還元焰焼成によって作成されたもので、奈良時代以降製作され瓦類と焼成技術の基を一にしている。土師器は酸化焰焼成によるもので、特別の技術は必要としなかった。それに対して須恵器は専門の知識や技術を要するため、その最初の頃は、大陸から渡来した技術者集団にもっぱらよっていたものであった。
 須恵器の器形には様々なものがあるが、壷類や坏(つき)類が多い。壷のうち、頚部が細く液体保存に適した形のものを、瓶(へい)と呼ぶ。そのなかで。胴と頚の中軸が一致しないものに横瓫(よこべ)・提瓶(ていへい)・平瓶(へいへい)がある。
 静岡天満宮の蔵品(写真のもの)はこのうちの“平瓶”で、志太郡岡部町横添の古墳から出土したものである。その形から、古墳時代後期後半代(7世紀)ころのものと考えられる。この平瓶には美しくうわぐすりで飾られているように見えるが、この時期にはまだ施釉の技術はなく、焼成中自然にかかった自然釉である。それがかえって自然で素朴な美しさを産み出している。静岡天満宮の蔵品(写真)は古墳の横穴式石室の中での保存状態がきわめて良好であったためか、傷ひとつない優品である。葬送儀礼に供せられたか、おそらく酒などを入れ、幾種類かの須恵器や他の器財と共に、横穴式石室の中に入れられたものである。
(解説:静岡市立登呂博物館副主幹 中野 宥氏)