菅原道真公の心(社頭講話より)

 今日は静岡天満宮の御祭神で在られます菅原道真公について少しお話したく思います。実は今日は道真公生誕1170年なのです。道真公は承和12年(西暦845年)6月25日にお生まれになりました。幼い時から学才があり5歳で和歌を詠み、11歳で韻をふんだ漢詩を詠んだそうで、17歳で文章生となり、今でいうと東大・京大の大学院生となるという秀才のようです。その後、秀でた学識が認められ宇多天皇により右大臣に昇格しました。道真公はどちらかというと人脈策略政治家ではなく、真面目一方の学者政治家であったようです。その一面をうかがわせる和歌があります。
「心だに まことの道に かなひねば いのらずとても 神やまもらん」
 祈らなくても良いと言っているのではなく、人には普段から誠(真)を大切にしなければならないと、道真公の本心をあらわしていると思います。
 しかしながら、この時代は天皇家の外戚や摂関家になろうとの政治的策略の時代でした、例えば「承和の変」に橘氏・伴氏、「応天門の変」に伴氏・紀氏、さらに後に「安和の変」に源氏の排除など、様々な政治的陰謀時代であった中で、道真公は真の道で政治に挑んでいたと思います。また、宇多天皇も道真公のその学識と誠に信頼をおき、当時の藤原氏の台頭をおさえようと道真公を右大臣に任命したのですが、藤原氏の策略政治の前には勝てず、無実の罪をきせられるという陰謀のもとに延喜1年(西暦901年)に大宰府に流され、道真公は政界から排除されてしまいました。
 その時の和歌が
「東風吹かば にほいおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
 この歌は一見梅の花をいつくしむやさしい歌のようですが、実はこの歌の中には、自分がまことの生き方をしてきたのに下野することについて、なぜという「悲しさ」「悔しさ」「恨み」が込められていると思います。その2年後の延喜3年(西暦903年)、道真公は59歳で亡くなられます。
 道真公は生涯まことの道で生きてきたからこそ、無実の罪をきせられた陰謀を許すことはできず、怨霊信仰の祟神として雷神となり宮中に落雷したと私は思っています。その後、道真公の無実がわかり「祟り神」は変身し、「厄除けの神」となりました。さらに偉業の学才から「学問の神」となり日本の人々に崇敬されて現在に至っています。このような道真公の「まことの道」は現代社会において忘れられがちであります。
 人が人として生きていく上に於いて仕事や私生活、何をするにつけてもこの「まことの道」は大切な天神様(てんじんさま)の道ではないでしょうか。