厄除の神(北野天神縁起絵巻)
静岡天満宮の御祭神である菅原道真公が、驚異的な学才の持ち主であり、異常なスピードで出世していったことは周知のとおりであるが、これだけの人物でも自らの運命には如何ともしがたいことであった。仁和2年(886)、道真公は42歳の大厄には宮中における一切の官職をはずされて、讃岐(四国)に転出させられてしまった。自らは「左遷」という語を用いて詩文(『菅家文草』巻三「北堂餞宴、各分一字。」)を作ってその悲愁を詠み、さらには京の都に比べて左遷の地である讃岐(地方)の人々の生活の悲惨さを実感し(『菅家文草』巻三「寒早十首」)を詠んでいる。
世に厄年といわれる男子(25歳・42歳・61歳)、女子(19歳、33歳、37歳)は、精神的にも肉体的にも変調期であり、人はこの時期を軽視してはならない。充分気をつけるべきである。
道真公の力を羨望する藤原氏を始め、多くの貴族の策略により、無実の罪で大宰府へ罪人として流された道真公は、3年の間一日として晴れやかな気持ちになれず、悲嘆のうちにその生涯を終えた。道真公の死後、その霊は怨霊となって祟り、雷神となって恨みをはらした。朝廷はその非を認め、手厚い処遇をして北野社に祀り、道真公は王城の守護神となり、雷神となった道真公は災厄を除く神となった。
日本人の素朴な信仰の中で、悪をなす神がやがて悪から助ける神として崇められるということは鬼子母神信仰も同じである。雷神から厄除けの神となった道真公は、現在北野天満宮では毎月6月に災難除けの神として祭祀を斎行されている。上の図は、国宝「北野天神縁起絵巻」中、雷神となった道真公が悪を懲らしめ災厄を取り除いている図である。
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