日本の心と神社(社頭講話)

 皆さんこんにちは、日頃から勉強に勤しみ励んでおられる受験生の皆様並びにご家族の皆様、静岡天満宮へのお参りご苦労様です。皆様の希望が叶いますことを祈念しております。

 今日は「日本の心」について、お話してみたいと思います。日本の心は遠い昔から神社などを通して日本人の精神文化として受け継がれてきましたがどの様な心なのでしょうか?。

 それを知るには、私たち日本人がどうして神社に参拝に行くのかを考えると解ります。(なぜ神社にお参りするのか)、それは私達のご先祖が心の中に神様と共に暮らし続けてきた長い歴史があるからだと思います。私たちのご先祖は遠い昔から、日々の生活の中で事ある毎に、神社などにお参りをして、神社にお祀りされている八百万神様に「事の始めの祈り」と「事の終わりの祈り」をして暮らしてきました。このお参りの中にこそ「日本の心」が込められているのではないかと思います。そしてヒントは日常の言葉の中にもあります、「もったいない」という言葉です。この言葉は英語などの外国語ではうまく表現できないようですが、私たちは、この言葉そのもので意味を理解できます。ご飯を食べ残すと「もったいない」それは「ご飯」というものが、自然から頂く恵みであり、そしてお百姓さんが一生懸命作ってくれたものだという連想につながり「感謝」と「恩恵」の気持を感じる事が出来るからだと思います。そして「お蔭さま」という言葉も外国語でうまく表せない日本語です。これは私たちが生きているのは決して自分だけで生きているのではありません。食べ物は自然の恵みすなわち他の生物の命をいただいて私たちは生きています、そしてお父さんお母さんをはじめ周りの人々の目に見えない助けによって生きている事への感謝と恩恵の心が込められている、と思います。

 さらにおじいちゃんやおばあちゃんに「誰も見てないからといって悪いことしちゃダメだよ、お天道さまが見てるよ」と子供の頃よく言われました。この"お天道さま"って何でしょうか? 

 私は自然の中にいらっしゃる八百万の神様やご先祖様だと思っています。そしてこのお天道様は、私たちの周りに、何処にでも何時でもいらっしゃるという事です。それは言い換えれば自分の心の中にいらっしゃる事なのだと思います。それによって自分が自分を道徳的・倫理的に律することができるのだと思います。このように自然物の全てや先祖の繋がりや家族そして周りの人々と共に生きている、さらに言えば「生かされている」という事に感謝と恩恵の心を持つことが「日本の心」ではないかと私は思っています。その感謝と恩恵の心をもっているがゆえに日本人は個人主義にはならず共同体社会での「」すなわち共存・共感・共生・共栄・共助・協調・調和・信頼の人間関係と秩序を、細かな法律を作らなくても、ごく自然に築く事が出来ると思います。まさにこれが「日本の心」であると思います。神社はこの日本の心を伝え続けているところなのです。

 神社は人々が清き心と誠の心と敬う心をもって神様と接し、神様と人々との間で「御神徳に対する(うやま)感謝(かんしゃ)(ねが)」の祈りが繰り返されている神聖な場所なのです。神様は人々の正しい立志発願であれば応援して下さります。世の為になる立志発願であればお喜びになられ御神徳を頂けます。鎌倉時代の御成敗式目の前文に「神は人の敬によりて威を増し、人は神の徳によりて運を添ふ」とありますように神様に感謝し敬う心を表し祈ることにより神の御稜威(みいつ)(御神徳)は益々高まり人々に運を授けてくださります。

 最後に参拝者皆様のご発展ご健勝を祈念して社頭の御挨拶とさせていただきます。