1.御祭神菅原道真公と梅
菅公と梅との関係は深く、公の五条の邸宅の庭前には梅があり常に梅を眺めての生活である。
公は和歌(やまとうた)にも漢歌(からうた)にも優れた方で菅家文草の冒頭
には十一歳で初めて詠んだ漢詩(月夜見梅花)が載っているが、これが「梅」の詩で、また、九州太宰府に流され、都と別れる最後の時に読んだ和歌
「東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」
が庭前の「梅」である。
このように、菅原道真公と梅との深い縁があるのです。

【 紅梅 】 |

【 白梅 】 |
2.梅天神(白隠禅師御真筆)

1995年 配布カレンダーより
「駿河の国の過ぎたるものが二つある。富士の高嶺に、白隠禅師」と昔から言われています。そして白隠禅師(1685~1768)の御真筆である、この「梅天神」は白隠禅師75歳のときに
書かれた、いわゆる「文字像(文字絵)」です。「南無天満大自在天神」という文字を使って、静岡天満宮の御祭神菅原道真公の御姿を描いています。
この「梅天神」の掛け軸は静岡天満宮の敬神家であり後援者でもある東京在住の
水野米太郎氏が手に入れられたものを静岡天満宮に奉納されたものです。「天満大自在天神」とは、道真公の神号といわれています。その起源には諸説がありますが「道賢上人冥途記」のように、仏の世界から出たともいわれています。
道真公のお顔と公が平生好んでおられた梅が、写実的に描かれています。
諸家の鑑定と禅師の使用されている印譜、顧鑑夷、絵と書の線等によって禅師75歳の作とされています。
掛軸全体の中に
「宵の間や 都の空に すみもせで 心づくしの 有明の月」
という歌が白隠禅師の歌として記されています。
全国の美術館にも展示されたこともある白隠禅師の「梅天神」は逸品であると同時に貴重な文化財でもあると思います。
(解説:静岡県美術商組合理事長 久保田達夫氏)
3.厄除けの神(北野天神縁起絵巻)

【 北野天神縁起絵巻
(北野天満宮蔵) 】
1987.6 北野天満宮・角川書店 掲載認証済
静岡天満宮の御祭神である菅原道真公が、その驚異的な学才の持ち主であり、異常なスピードで出世していった事は周知のとりであるが、これだけの人物でも自らの運命には如何ともしがたいことであった。仁和二年(886)道真公は四十二歳の大厄には宮中における一切の官職をはずされて、讃岐(四国)に転出させられてしまった。自らは「左遷」という語を用いて詩文を作ってその悲愁を詠み、四年間の不運をかこっている。
世に厄年と言われる男子(二十五歳・四十二歳・六十一歳)、女子(十九歳、三十三歳、三十七歳)は精神的にも肉体的にも変調期であり、人はこの時期を軽視してはならない。充分気をつけるべきである。
道真公の力を羨望する藤原氏を始め、多くの貴族の策略により、無実の罪で太宰府へ罪人として流された道真公は、三年の間一日として晴れやかな気持ちになれず、悲嘆のうちにその生涯を終えた。道真公は死後、その霊は怨霊となってたたり、雷神となって恨みをはらした。朝廷はその非を認め、手厚い処遇をして北野社に祀り、道真公は王城の守護神となり、雷神となった道真公は災厄を除く神となった。
日本人の素朴な信仰の中で、悪をなす神がやがて悪から助ける神として崇められるということは鬼子母神信仰も同じである。雷神から厄除けの神となった道真公は、現在北野天満宮では毎月六月に災難除けの神として祭祀を斎行されている。上図は、国宝「北野天神縁起絵巻」中、雷神となっ道真公が悪を懲らしめ災厄を取り除いている図である。
4.駿河天神

【 天神人形
(雛匠豊寿 作)】
静岡県中部(駿河の国)では天神崇拝が節句の風習と結びつき、江戸時代後期から桃の節句に天神を飾って、男児の無事成長を願う風習が残っている。明るくて大ざっぱな風土性が反映されている。
この天神人形は静岡天満宮に三和の人形から奉納されたものである。特に衣装は京都西陣の正絹織を使用し、本作り頭、木彫手足で雛匠豊寿が製作したものである。